バルジェロ美術館とは
バルジェロ国立美術館は、フィレンツェの歴史的なポデスタ宮殿にあります。1865年に設立された、イタリア初の国立博物館です。
バルジェロ美術館はルネサンス彫刻の最も重要な作品の数々を楽しむことができます。ドナテッロ、ルカ・デッラ・ロッビア、ヴェロッキオ、ミケランジェロ、チェッリーニらの傑作で、主にメディチ家のコレクションから引き出されました。欧州で最も充実した彫刻のコレクションがありながら、ウフィツィ美術館やアカデミア美術館と比べると空いており、ゆっくり見学できます。彫刻だけでなく、絵画、陶器、鎧、古銭などを展示しています。
この建物の建設は 1255年に始まりました。建設当初はフィレンツェ市議会の行政長官である「ポデスタ」の館として活用されていました。この建物はもともとはフィレンツェで最も古い公共の建物なのです。厳格な銃眼のある建物は、ヴェッキオ宮殿の建設のモデルとなりました。16世紀になるとフィレンツェの司法長官である「バルジェロ」の役所兼邸宅となったことから、その名が今日まで残りました。監獄として使われていた時期もあり、囚人の処刑がバルジェロの庭で行われていたこともあります。
入場料金とチケット予約方法
入場料金
当日券 | WEB予約入場券 | |
---|---|---|
一般 | 9€ | 12€ |
18歳未満 | 入場無料 | 入場無料 |
18歳から25歳の人は2€割引になります。毎月第一日曜日は入場無料。
チケット予約
①Firenze Musei のコール センター+39 055 294883に電話して予約することができます。
②公式サイトB-ticketでWEB予約ができます。
ただし予約にはいずれも予約代3€割り増しされます。そんなに混雑する美術館でないので、特に予約する必要はないでしょう。
アクセス、営業時間、休館日、所要時間
アクセス
・ウフィツィ美術館から徒歩4分
・サンタマリアノベッラ駅から徒歩17分
開館時間と休館日
休館日について色々ネットで調べてみたんだけど、イマイチ情報が錯綜してるんだ。一応上の情報は公式HPからの情報です。
とりあえず火曜と日曜は休みが多そうね。あと閉館時間が早いのも注意!なるべく朝早く行った方が良さそうね。
公式HPに記載はないけど、「地球の歩き方」を見ると、1月1日、5月1日、12月25日も休館とあるので気をつけましょう。
所要時間の目安
ミケランジェロやドナテッロの重要作品をサクッと見るだけなら1時間で十分でしょう。じっくり見たい方にとっては、見るものはいくらでもあります。ただし閉館時間が早いので、じっくり派の方もなるべく朝早く入場することをおすすめします。ドナテッロの「ダビデ像」の周囲だけは混雑しがちです。
見どころ
フロアマップ
入口
中庭
0階(日本でいうところの1階)では、中庭を囲んでロッジアに彫刻などの作品が展示されています。
バルトロメオ・アンマナーティ
「大広間のフォンターナ(噴水)」
アンマナーティはバンディネッリの弟子で、シニョーリア広場のネプチューン像を引き継いだ彫刻家です。
ジャンボローニャ
「オーケアノス」
ジャンボローニャって名前からボローニャ出身のイタリア人かと思いますけど、フランドル出身なんですね。代表作のネプチューンの噴水がボローニャにあるから、またややこしい。
ジャンボローニャは1553年にフィレンツェ にやってきて、トスカーナ大公家の宮廷彫刻家になってから全盛期を迎えました。マニエリスム彫刻の第一人者です。
ベネデット・ダ・マイアーノ
「アラゴーナのフェルディナンド1世の戴冠と6人の音楽師」
ヴィンチェンツォ・ジェーミト
「漁師の少年」
ミケランジェロの間
0階(日本でいうところの1階)の中心がこの展示室です。その名の通り、ミケランジェロの名作が数多く置かれています。
ジャンボローニャ、ピエトロ・フランカヴィッラ
「ピサに対するフィレンツェの勝利」
ヴェッキオ宮殿の五百人広間にあったもののオリジナルです。
ピエトロはジャンボローニャの弟子です。共作なんですね。この人体の絡み合いのダイナミズムが、マニエリスム彫刻の第一人者たる所以です。
ジャンボローニャ
「バッカス」
ジャンボローニャ
「飛ぶメルクリオ」
ルーヴルにも同じ作品があります。
ヴィンチェンツォ・ダンティ
「虚偽に対する名誉の勝利」
若者がおっさんを制圧する、みたいに「正義の勝利」を象徴する作品が多いですね。当時の流行だったのでしょうか。
ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ
「死にゆくアドニス」
ミケランジェロ・ブオナローティ
「バッカス」
1496年〜1497年頃の作品です。いよいよ真打ち登場です。まさしく酩酊の神ですね。ちょっと千鳥足かな。
ミケランジェロ20歳そこそこの作品です。やっぱり若い頃はギリシャ・ローマ彫刻を凌駕する!っていう野心を感じさせますよね。それを実現したのがダヴィデなのです。
ミケランジェロは幼少期からフィレンツェで過ごし、13歳でドメニコ・ギルランダイオに弟子入りします。
すぐに頭角を表したミケランジェロは、当時のフィレンツェの支配者・ロレンツォ豪華王に認められ、メディチ邸で保護されることになります。
豪華王の死後はローマに招かれ、この作品や「ピエタ」のような傑作を生み出し、大芸術家の道を歩み始めます。
ミケランジェロ・ブオナローティ
「アポロ=ダビデ」
かつて上野の西洋美術館にやってきた作品ですね。惜しいことに未完なんですよね。確かに裏側は荒削りのまま。
1527年にフィレンツェでは共和政復活の気運が高まり、メディチ家はまたも追放されました。ミケランジェロはこの時は共和派に与して、メディチ家に対して反旗を翻しました。が、神聖ローマ皇帝を味方につけたメディチ派の巻き返しに、共和派は敗北。フィレンツェ公となって復活したメディチ家に、ミケランジェロは恭順の意を示します。生き残るためメディチに絶対服従しなければならない時期に、制作を命じられたのがこの作品でした。
ミケランジェロ・ブオナローティ
「ブルータス」
1539年の作品です。カエサルの名言「ブルータス、お前もか」の人。カエサルの暗殺者の一人です。メディチ初のフィレンツェ公・アレッサンドロが殺害された時に、反メディチ派に依頼されてつくった作品です。アレッサンドロは振る舞いが放埒で君主の品格に欠け、民衆には嫌われていたようです。
ミケランジェロ・ブオナローティ
「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
バッチョ・バンディネッリ
「コジモ1世」
バッチョ・バンディネッリ
「アダムとイヴ」
バッチョ・バンディネリ
「酔ったノア」
べンヴェヌート・チェッリーニ
「ナルキッソス」
ルネッサンスを代表する彫金・彫刻家ですが、バイセクシャルで、2度も告発されたことがあるそうです。フィレンツェは男色家が多いことで知られていたようですね。同性愛を当時は「フィレンツェの悪徳」と称したほどでした。
石の質がザラついてますが、劣化したのでなくもともと材質が悪かったらしいですね。アルノ川底の大理石をひき上げて作ったものです。
べンヴェヌート・チェッリーニ
「ペルセウスの台座」
1553年頃の作品です。シニョーリア広場のロッジアにあるのはレプリカで、こちらが本物ですね。この「ダナエと息子ペルセウス」はミケランジェロ「瀕死の奴隷」(ルーヴル美術館所蔵)の艶めかしいポーズの影響を受けているそうです。チェッリーニはミケランジェロを終生、信奉し続けました。
チェッリーニの最良の作品は、イタリアだけでなく海外にも存在します。一時チェッリーニはフランソワ一世に請われて、フランスで活動していたことがありました。ルーヴルにある「フォンテーヌブロー宮殿のニンフの浮き彫り」や、ウィーン美術史美術館にある「黄金の塩入れ」などはフランス時代に制作されています。
べンヴェヌート・チェッリーニ
「Apollo and Hyacinthus」
アポロは過失によって死なせた美少年ヒュアキントスを惜しんで、彼を花として生まれ変わらせます。その花がヒヤシンス。
べンヴェヌート・チェッリーニ
「ガニュメデス」
ベースは古代ローマ彫刻のトルソーで、その不足部分をチェッリーニが加えたものです。ガニュメデスの頭部、両腕、両足、ワシの頭部、胴体、台座がチェッリーニ の手によるもの・・ってほとんど全部やん?
イル・トリボーロ
「フィエゾレの寓意」
バルトロメオ・アンマナーティ
「レダと白鳥」
白鳥に変身したゼウスがレダを夜這う、西洋美術の人気テーマです。
1階(日本でいう2階)ロッジア
ジャンボローニャ
「建築」
この長い脚がジャンボローニャの彫刻の魅力です。
ピエトロ・フランカヴィッラ
「イアソン」
ギリシャ神話の英雄・イアソンは魔物と闘って、金羊毛皮を手に入れる冒険譚が知られています。わかりにくいですが、手に持っているのは羊の毛です。
ジャンボローニャ、バルトロメオ・アンマナーティら
「鳥類のブロンズ像」
代表委員会の間
1階(日本でいう2階)の中心がここです。ここにはドナテッロの充実したコレクションがあります。ドナテッロはルネサンス初期のイタリア人芸術家、金細工師、彫刻家です。写実性が高く、解剖学的にも正確な彫刻作品の傑作を多く残しました。ミケランジェロとも比肩して語られる天才芸術家です。
ドナテッロ
「ダビデ」
1440年代の作品。これが古代以来初の裸体彫刻像です。そして古代以来初のブロンズ製立像でもあります。
バルジェロの最大の至宝と呼ばれています。その官能性からドナテッロの同性愛的嗜好を疑う説もあります。(証拠はない)
ミケランジェロに先駆けた全裸のダヴィデですが、ミケランジェロの方は政府依頼の公式作品なのに対して、こちらはメディチ(リッカルディ)邸内の中庭に飾られるための私的作品なので官能性を出せたのでしょうか?老コジモはドナテッロとほぼ同年代で、二人はサン・ロレンツォ教会内で並んで埋葬されています。
ダヴィデの内股に向けて伸びる、ゴリアテの兜の羽根が妖しい雰囲気を醸し出しています。ダビデの「裸に帽子とブーツ」という装いはかなり倒錯的です。が、これらはいずれも「英雄ダビデを貶めた」という批判が来ることを予期した上のアリバイ工作だとの説があります。(例えばゴリアテの兜に羽根をつけることで、これはヘルメスだという言い逃れができる)
ドナテッロ
「ダビデ」
バルジェロにあるもう一つのダビデ。こちらは着衣で大理石です。
若き日のドナテッロはブルネレスキとともに、ローマに修行に出ています。そこで二人は古代ギリシャ・ローマの建築や彫刻の技法を手に入れ、ルネッサンスの大輪を開花させていきます。
ドナテッロ
「聖ゲオルギウス」
もとはオルサンミケーレ教会外面に立っていたものが、ここバルジェロに移されました。
ドナテッロ
「少年の洗礼者聖ヨハネ」
若き苦行僧の不安げな表情と衰弱ぶりが目を引きます。
ドナテッロ
「Amore/ Attis」
アンドレア・デル・ヴェッロッキオ
「ダビデ」(ブロンズ)
ドナテッロ「マルゾッコ」
ベネデット・ダ・マイアーノ「台座」
ドナテッロ
「磔刑」
ロレンツォ・ギベルティ
「イサクの犠牲」
1400年頃に行われたサンジョバンニ洗礼堂扉コンクールの出展作品で、ギベルティとブルネレスキの競作が並んでいます。
フィリッポ・ブルネレスキ
「イサクの犠牲」
ブルネレスキによれば、このコンクールは「両者優勝」となったが、誇り高いブルネレスキはそれを良しとせず自ら辞退したらしいです。この二人はその後もドゥオーモ のクーポラなど、幾多の制作競技で競い合う生涯のライバルとなります。
ルーカ・デッラ・ロッビア
「聖母子」